第29回 とろんぼおん

誰か死ぬくらいの青春降ってこい とろんぼおんと夕陽がしずむ

服部恵典
「本郷短歌 第4号」

青春の焦燥、格好悪さ、憧れなどを詠んだ連作「明山高校吹奏楽部連続無殺人事件」より。面白さの中に切実さをにじませる。トロンボーンを擬音語として用いたのも面白いが、何かを期待し続ける若さをそのまま表現したかのような上句に惹かれる。「本郷短歌」は東京大学本郷短歌会の歌誌。新作短歌だけでなく、短歌や文芸の新しい流れを意識して書かれた評論もいい。

千葉 聡

第28回 空想少女

君出でて恋歌うたふ明けの夢ぞなむやかこそ心乱るれ

石川美南
『砂の降る教室』

『短歌朝日』への投稿歌が岡井隆に見いだされ、同誌で新鋭歌人としてデビューした石川美南。そのとき石川はまだ十代半ばだった。天才少女歌人は、じつは空想が得意な人であり、「ネロ帝の生写真など交ざりをり少女のコレクションを覗けば」など、一首の中にとんでもないものを平然と持ちこむ。掲出歌では、ごつごつした係助詞が、恋をささえたり邪魔したりする風変わりな妖怪か何かのように感じられないだろうか。

千葉 聡

第27回 われはなぜわれに

われはなぜわれにれたる 中年の男の問ふは滑稽ならむ

伊藤一彦
『柘榴笑ふな』

思春期の真っただ中、寝つけずに暗い天井を見上げながら、人は考える。なぜ自分は、この自分に生まれたのだろう。もし父と母が、それぞれ別の人と結ばれていたら、自分は存在しなかったのだろうか。自分の根底が揺らぐようなひととき。じつは、大人になってからも、そういう問いかけは浮かんでくるのだ。わざと勢いをつけて乗り切った月曜日の夜などに。滑稽かもしれないが、筆者もときどき「われはなぜ」と考える。

千葉 聡

第26回 そうですね。春ですね。

春だねと言えば名前を呼ばれたと思った犬が近寄ってくる

服部真里子
『行け広野へと』

もしかしたら犬は「そうですね。春ですねぇ」と答えたくて近寄ったのかもしれない。私と犬の小さなすれ違いが、春を背景に描かれる。いや、「春だね」という言葉は、隣にいる人に向けられる、いちばん素朴な愛情表現なのかもしれない。服部真里子の『行け広野へと』は、名歌ばかりがぎっしり詰まった、奇跡のような一冊。

千葉 聡

第25回 レタスのたくらみ

レタスからレタス生まれているような心地で剝がす朝のレタスを

中畑智江
『同じ白さで雪は降りくる』

レタスは何かをたくらんでいる。剝がしても剝がしても、その中にはますます瑞々しいレタスがある。レタスは自らの生命力を、人間に見せつけたいのだろうか。周囲のどんな小さなものにも愛情をこめる新鋭歌人は、ものごとの本質をそっと見抜いてしまう。レタスも「中畑さんには負けたよ」とつぶやいているだろう。

千葉 聡

第24回 ほとほと疲れて

まとまらぬ思ひつぎつぎに重なりてほとほと疲るる時に眠りつ

しぼ生田うた
『春山』

明治大学の名物教授として知られていた柴生田稔。斎藤茂吉の研究者としても精力的に活躍した。『斎藤茂吉全集』は柴生田なくしては完成しなかった。そういう背景がわかると、この歌は味わいを増す。今、志を貫き、研究に打ち込んでいる研究者のみなさんに、やさしい夜が訪れますように。

千葉 聡

第23回 春の夜の嘘つきは

ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり

穂村弘
『シンジケート』

藤子・F・不二雄が描いた猫型ロボットは「ドラえもん」である。正式には、「ドラ」はカタカナ、「えもん」はひらがななのだ。このことを穂村さんに言ってみたことがある。「いや、ここは『どらえもん』でいいんだよ」とお兄さん歌人は笑っていた。それは、肌寒い春の夜に、ハーブティーをゆっくり飲みたがる、のんびり屋の若者の笑いだった。「嘘つきは」のあとには「泥棒」が続きそうなところを気持ちよく裏切り、もっととんでもないもの、圧倒的なもの、誰もが欲しがるものを持ってきてしまった。

千葉 聡

第22回 雲雀はそらを憎む

くちづけの深さをおもひいづるとき雲雀よ雲雀そらを憎めよ

水原紫苑
客人まらうど

恋人と過ごした甘美なひとときを思い出していると、ふと雲雀の姿が目に入る。空の高みをめざして飛んでいく雲雀は、空を憎んでいるのだろうか。空全体を震わせるような鳴き声や、急かされるかのように飛んでいく姿には、何か激しい情熱がこめられているような気がする。一脈、恋に通じるような情熱が。第三歌集『客人』の新装版は、この春、沖積舎より刊行された。

千葉 聡

第21回 八十になれば

八十になれば忘れているのかな木漏れ日のなか見ていた眉も

陣崎草子
『春戦争』

新鋭歌人・陣崎草子は、絵本作家、小説家としても活躍中。大切な人の眉を見つめていたことは、大人になれば思い出になる。もっと年をとれば、その思い出は、なくなってしまうのか。未来を怖々とのぞく子どものような物言いだ。陣崎の描く人物たちは、きっといくつになっても、いつまでも、こんな物言いをするのだろう。この身になじんだ、自分の核である、子ども心を脱ぎ捨てたくなくて。

千葉 聡

第20回 恋? 友情?

こころは鍋ひたすら恋は煮崩れて焦げつく友情があるばかり

山階 基
「穀物 創刊号」

現代文の授業で夏目漱石『こころ』を読むにあたり、高校二年生たちに「恋と友情、どちらが大切か」と訊いたことがある。多くの生徒が「友情」と答えた。理由を尋ねると「恋は友情の一形態だから」との返事。なるほど。でも、本当にそうかなぁ。ロマンスの神様・広瀬香美も「友情より愛情」と歌っていたし……。二十代の山階は、クールにうたう。煮崩れていない状態なんて、ほんのひとときしか見られない。でも、すべてがいずれ友情になるのなら、そんなに悪くはないのかも。

千葉 聡