第65回 海のページ

海だけのページが卒業アルバムにあってそれからとじていません

伊舎堂いしゃどう ひとし『トントングラム』

期末テストが終わったら、休みが近づく! 梅雨があけたら、本当の夏がやって来る!(会社勤めのみなさんも、八月の夏の真ん中あたりにはお休みがとれますでしょうか)。「海に行きたいね」なんていう声を耳にすると、目の前の「やらなければならないこと」が一瞬ぼやけて見える。輝く海、うごめく波、いざなう白い砂浜。伊舎堂は、海を身近に感じながら少年期を過ごしたのだろう。海に心を寄せるときに、自分の深いところを覗きこむような気がするのは、なぜだろうか。

千葉 聡

第64回 時間をつくる

こゆびより小さきボタンを長く押し、こうしてきみは時間をつくる

野口あや子『かなしき玩具譚』

野口あや子は、恋愛のさまざまな場面を勢いよく詠む。まるで、スマホを手放さない十代の少女そのものだ。出来事が起きたその場でSNSに書き込みを始めるような雰囲気で、臨場感のある歌を差し出してくる。自分がどんな感情にとらわれても、それを恐れない。表現するために生きている人だ。掲出歌は、プライベートな時間をとるために携帯電話の電源を切る男を詠んだもの。こんな小さなボタンに操られてしまう自分に、はっとさせられる。

さて、この「ことばの冒険者たち」は、週に五回、平日に必ず更新してきましたが、筆者・千葉が、現代短歌アンソロジーの刊行準備に入りますため、7月末まで週に1~2回の更新となります。本当にすみません。9月ごろには、清新な現代短歌を多数収録した一冊をお届けできますよう、がんばります。どうかよろしくお願いします。

千葉 聡

第63回 なりたくない

なりたくないなりたくないと背泳に見上げるかみなり雲の蜂起を

飯田有子ありこ
『林檎貫通式』

飯田有子の第一歌集『林檎貫通式』には、まるで永遠に十代でいる宿命を負わされた少女のつぶやきのような歌が詰まっている。世の中の少女というものは、多くの試練を課せられる。我慢や礼儀を学べ。勉強して進路を見つけろ。そして必ず「大人になれ」と言われ、気がつけば大人になっている。だが、『林檎貫通式』の中に描かれた人たちは、大人になんかならずに、自分の思いを全開にして生きていく。なんて乱暴で愛しい世界だろう。

千葉 聡

第62回 小説の一行に

ふと雨の街へ踏み出す 小説のなかの小さな一行になる

深見あす香
「早稲田短歌44号」

雨の街に出て行く私。「ふと」出かけるのだから、約束のない気ままな時なのだろう。まっすぐに降ってくる雨も、顔をあげて歩く私も、小説の一行みたいだ。そう考えると、雨の降る街全体は、一冊の大きな本なのかもしれない。どうせなるなら、長編小説の中の、きらりと光る一行になりたい。「早稲田短歌」には、新作短歌、一首評、本格的な歌論が載っている。短歌総合誌のように読みごたえがある。

千葉 聡

第61回 戦争に失ったもの

戦争に失ひしもののひとつにてリボンの長き麦藁帽子

尾崎左永子さえこ
『さるびあ街』

このところ、政治のニュースを耳にするたび、戦争に向けてじわりじわりと進んでいくような怖さを感じる。一教員としては、ただ単純に、教え子を戦場に行かせたくない。強く、そう思う。掲出歌は、強大な戦争に対して、小さな麦藁帽子を提示する。小さいが、この帽子には、夏の午後のきらめきや、体温の感じられる日々への愛着がこめられている。この第一歌集刊行時、尾崎左永子はまだ「松田さえこ」だった。

千葉 聡

第60回 少年の匂い

雨の中帰り来し子のそぼぬれし背よりしきりに原野が匂ふ

古谷智子
『神の痛みの神学のオブリガート』

古谷智子は少年をよく詠んだ。子育ての日々に材を得た日常詠もあるだろうが、どこか、あこがれの少年像を詠んだように思える歌も少なくない。掲出歌では、「原野」にはっとさせられる。まるでこの少年が放浪の旅から戻ったかのように思わせる。「原野」は、まだ開拓も整理もされていない、少年の内面の喩であるかもしれない。豊かに濡れて黒々と光っている、そんな原野だろうか。

千葉 聡

第59回 指、腕

あいさつの握手に思う 人間の指は腕から生えていること

宝川 踊
「率 8号」

仕事モードの大人同士であれば、普通、なかなか肌と肌とを合わせることはない。唯一の機会は握手である。よろしくお願いします、と明るく差し出される手。なんと、広げられた指は、腕から生えた枝のように見えるではないか! ひとつの発見が一首を生む。一首に盛り込まれた発見によって、世界の見方が揺らぐ。

千葉 聡

第58回 辞書を踏んで

おそれなく辞書を踏台にして遊ぶ幼ならよもの書くわがかたはらに

木俣 修
『落葉の章』

本を踏んではいけない。子どものころ、そう教育されてきた。本は大切なものだから。本は文化だから。だが、私はこの歌から、幼い子どもの様子を思い浮かべ、ついにんまりしてしまった。木俣修は、自分自身の駄目なところや不満や悲しみを、自分とは少し離れた場所から詠むことができる。そういう姿勢が、ユーモアや情緒を生んでいる。

千葉 聡

第57回 風の匂いの

キャベツ色のスカートの人立ち止まり風の匂いの飲み物選ぶ

竹内 亮
『タルト・タタンと炭酸水』

「キャベツ色のスカート」も「風の匂いの飲み物」も面白い。この一首の中で、視覚と嗅覚とが同時にめざめる。白黒のスケッチに、色とりどりの絵の具を塗るように、現実の出来事に微妙で繊細な感覚を塗り重ねている。「川べりに止めた個人タクシーのサイドミラーに映る青空」など、竹内亮は、光がはじけ、風が鳴る瞬間をつかまえようとしている。

千葉 聡

第56回 届いた絵葉書

君がもうそこにはいないことだけを確かに告げて絵葉書が着く

松村正直
『駅へ』

松村正直の第一歌集『駅へ』を何度も読んだ。束縛されることを避け、フリーターをしながらふらりと気に入った町に住みつき、また他の土地へ行く二十代の姿が描かれている。私より少し若い、この青年を、私は親しい友人のように感じた。松村は、人と人との関係性の脆さと美しさを同時に詠む。絵葉書によって、数日遅れて心がつながる二人。

千葉 聡