定型をうまく利用した一首。
本来の5・7・5・7・7というリズムで読もうとすれば、
音読であれ、黙読であれ、下句を読むスピードは自然に上がるはずだ。
そして下句のスピードが上がれば、上句のスピードは相対的にゆるやかに感じられる。
作者はなぜこのように設計したのだろうか。
下句のスピードは、新幹線の車内旅客案内装置を流れる文字のスピードを再現するためのものだろう。そして上句のスピードは、テロップが告げた死を印象付けるためのものだろうと僕は思う。あのテロップには様々なニュースが次々と流れ、誰かの死を告げるものが含まれていることも少なくないが、自分やその周辺に関係がなければ、すぐに忘れ、その死は意識の外へと流れていく。いちいち立ち止まったり、かなしんでいる暇はないし、立ち止まろう、かなしもうとすら思わない。その必要がないことを経験上知っているからだ。はいはいそうですか、あー名古屋に着いたらなに食べよう、と普段はこうである。
だから短歌としてこのように提示されるとはっとするのである。
あなたは、死も三河安城駅も通過しました、と言われているようで。
木下龍也