『クラウン伍長』には、古今東西に渡る死のコレクションが犇めいている。
斉藤真伸は“タナトスの詩人”であるとつくづく思うのである。
上に挙げた作品は、日常生活の中でふと気づいた“死”。
軍艦巻きに載る魚卵の一粒一粒がたましいのひとつひとつである、と作者は気づく。
一口嚙むごとに、たましいがはじける。
「生命をいただいているということなのだから、感謝しましょう。」とのたまうよりも、
いつ何時でも沈黙の中「死を噛み締めろ」ということなのかもしれない。
「メメント・モリ(死を想え)」という言葉がある。
この評を書いている私だって、明日死ぬかもしれない。
今、読んでいるあなたにもいつか死は訪れる。
そのことに気づいたときに、あなたはどんな景色が見えますか?
天道なお