木下龍也はその両目の他にあとひとつ目を持っていると時々思う。
たとえば額あたりに。あるいは手の甲に。
その「第三の目」を通して見ると、世界は私たちの見ているそれとは大きく異なるユニークな姿を表出させる。と同時に、生まれつき持つ両目で見る通常の世界とのズレを的確に認識する。
表題の一首、集合住宅のベランダに室外機の並ぶよくある景である。これが「第三の目」を通してみると今にも発進しそうな戦艦あるいはロケットになるのだ。しかし一方で実際にはアパートが発進することがないことを両目でしっかり見届けている。通常の目とのズレを認識しているがゆえにこの一首は「室外機の並ぶアパートが宇宙戦艦のようだ」と見立てを誇示するだけの短歌にならずに「発進しない」と日常に足をつけた表現に落ち着く。そこがいい。
発進しないアパートだからこそ、すぐそばの道を歩ける。読者も想像の中で同じ場所に立てる。見立てと現実の緻密に計算されたこの距離感こそ、木下作品の真骨頂と言えるのではないだろうか。
田中ましろ